追悼!ジャッキー吉川 ~ブルーコメッツに入ってデビューするまで~

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大人のための"カラオケ教室"

愛知県名古屋市のカラオケ教室「TAKESHI Vocal Studio」

ジャッキー吉川&ニューブルーコメッツのボーカルとしても活動するTAKESHIの歌手生活40年にも及ぶキャリアで習得した独自メソッドで、楽しみながら上達できます。

目次

名古屋から東京へ

名古屋の仕事

今では想像はつかないかもしれませんが、当時のバンドの世界は仕事がたくさんあり、またバンドの数も非常に多く活気のある世界で、とても忙しい日々を送っていました。

ブルーコメッツに入る10年近く前に初めてバンドの世界にボーカルとして入った時などは、夜2件掛け持ち、深夜2件掛け持ちと一日に4件で歌っていました。ちなみに1日16ステージをこなし喉はいつもガラガラという状態でした。

お陰で喉は相当鍛えられましたよ!

ブルーコメッツに入ることが決まってから色々と準備が大変でした。

まずは忙しいバンドのボーカルの後任探しです。

当時のバンマスには迷惑をかけましたが何とか良いボーカルが見つかりました。

上京

いよいよ名古屋から東京へ。

次に部屋探しです。

東京都内や千葉とか埼玉と色々探し回り、杉並区の阿佐ヶ谷に居を構えることとしました。

リハーサル

そしてなんと言っても大変だったのが「曲覚え」です。

昭和63年の3月頃の話です。

当時のブルーコメッツのレパートリーは30曲ほどだったと思いますが、これを一気に曲と歌詞を覚えるのです。当時30歳と若かったのでできたと思いますが、この年になると到底無理だと思います。

僕のブルーコメッツのボーカルとしてのデビューは5月と決まっていました。

およそ2ヵ月しかありません。

その当時僕は四六時中「ウォークマン」で曲を聴き必死に覚えました。

定期的に行われるブルーコメッツのメンバーとのリハーサル。

覚えるものは歌だけではありません。コーラスや振り付けまでありました。

練習を重ねるうちに段々形になってきて、いよいよデビューの時が近づいてきました。

ブルーコメッツのボーカルとしてデビュー

2ヵ月の練習、リハーサルを経ていよいよデビューです。

デビューの地は東京の錦糸町にあるライブハウスです。確か38(サーティーエイト)というお店だったと思います。

当時のブルーコメッツはとても忙しく、日本全国各地を回っていました。

今回のようなライブハウスでのライブ、ホテルのディナーショー、ホールでのコンサート、自治体主催のお祭りのアトラクション、企業や生命保険会社のパーティーなど多種です。

その中でライブハウスのライブは、ブルーコメッツのオリジナル曲以外にも洋楽のカバー曲やグループサウンズの曲など曲数が多いステージでした。

なので最初の舞台としては大変でした。

いよいよ初舞台のスタートです。

たくさん練習を重ねてきたものの、不安と緊張の連続でした。

歌詞を間違えないか、振り付けを間違えないかと、とても初ライブを楽しむ余裕はありませんでした。

多少の失敗はありましたが、何とか初ライブをやり終え、これが夢にも見た「注目するお客様の前で歌う」ことなんだと、とても嬉しい気持ちになったのを覚えています。

多くの反省点

初ライブをやり終えましたが、次の仕事は何と何千人も入る北海道旭川市の「旭川大雪アリーナ」が決まっていました。

これまで名古屋の小さなお店でしか歌ったことがない僕が、いきなり何千人の大舞台なのです。

これにはやはりジャッキーさんも心配していました。

旭川の仕事の少し前にジャッキーさんに呼ばれました。

「ユーよ、しゃべりは俺がやるからさ、ユーは頭で元気よく挨拶して俺を紹介だけしてくれればいいからさぁ、頼むよ!」

そうです。ジャッキーさんは僕のトーク力のなさを懸念していたのです。

歌には自信ありましたが、長年名古屋のキャバレーやクラブで箱バンドとして歌っていたので、ほぼBGM状態の歌や演奏でした。当然ショーやライブとしてやっていないので途中でMCを入れる事なくひたすら歌うという状況でした。

なので人前で思ったことが上手く喋れず、何となく盛り上がりの欠けたぎこちないステージとジャッキーさんにも映ったと思います。

その頃の反省があって今ではライブでもある程度まともなMCができるようになったと思います。

色んな出会い

ブルーコメッツに入って各地を回るようになり、また色んな方々を共演することが増えてきました。

ワイルドワンズ、ジャガーズ、パープルシャドウズ、アイ高野さん、加橋かつみさんなどGSの重鎮の方々です。

この共演を通してステージング、MCなど勉強になり今に生きていることは言うまでもありません。

特にワイルドワンズの植田さんのトーク力はすごかった!

そんな訳でブルーコメッツのボーカルとして無事?デビューできましたが、今日までの32年間に色んなエピソードがあります。

次回はそんなことを書いてみようと思います。

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