追悼!ジャッキー吉川との思い出 ~エピソード①~

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大人のための"カラオケ教室"

愛知県名古屋市のカラオケ教室「TAKESHI Vocal Studio」

ジャッキー吉川&ニューブルーコメッツのボーカルとしても活動するTAKESHIの歌手生活40年にも及ぶキャリアで習得した独自メソッドで、楽しみながら上達できます。

目次

ジャッキー吉川とニューブルーコメッツへ

ニューブルーコメッツの誕生

昭和63年、僕がブルーコメッツにボーカルとして入りました。

とは言ってもメンバーはジャッキーさん以外大きく変わっていました。

元々バックバンドで始まったブルーコメッツ。
ジャッキーさんが引き継いで、井上さん、三原さん、高橋さん、小田さんと一持代を築きました。

その後GSブームの衰退と共にブルーコメッツも解散の危機がありましたが、最終的にはジャッキーさんが残り、色々とメンバーを変えながら続いていました。

僕がブルーコメッツに入ってしばらくは「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」という名前で活動していました。

その頃リバイバルブームで「懐かしの・・・」というテレビ番組が放映されていて、ブルーコメッツ黄金時代のメンバーでよく出演していました。

そんな関係でブルーコメッツが2つ存在することになったため、こちらをニューブルーコメッツと名前を改め、ジャッキーさんは2つのコメッツで活動することになりました。

ニューブルーコメッツのメンバー

僕がブルーコメッツに入った頃のメンバーを紹介します。

  • ギター:森本博夫(モリモトヒロオ)
  • キーボード:岸 明樹(キシ ヨシキ)
  • ベース:白川博朋(シラカワヒロトモ)

ベース以外は年上だったので、ギターを森本さん、キーボードをキーボー、ベースを白川君と呼んでいました。

ギターは後に安田一平さん、その後土井立庭君に代わっています。

後方左からキーボー、中央が土井、右が白川、前方左がジャッキーさん、右が僕

ニューブルーコメッツの活動

僕がブルーコメッツに入った当時はGSブームの再来という感じだったので、仕事もたくさんあり、とても忙しい日々を送っていました。

ライブやイベント、ディナーショーやコンサートなど全国津々浦々と走り回り、ワイルドワンズ、ジャガーズ、パープルシャドウズ、ゴールデンカップス、クリスタルキング、キングトーンズ、アイ高野さん、真木ひでとさん、加橋かつみさんなど、色んな方々との共演もありました。

GSフェスティバルなんかだと、色んなグループが集まってそれぞれ個性を出し合ってすごく盛り上がったのを覚えています。

ジャッキーさんとアイ高野さん、植田さんとのドラム合戦、今でも興奮するなぁ、、、

いろんなエピソード

当時移動に関しては、関東圏など車で行ける範囲は車で移動。車で移動できない場合は、新幹線や飛行機で移動していました。

車で移動の場合、当時は楽器車(キャラバン)の後ろに楽器や機材を積み、前に運転手の白川君とジャッキーさん、後ろの席に僕と森本さんとキーボーとマネージャーを載せての移動でしたので、後ろはギューギュー詰めの状態でした。

仕事終わりは大抵楽器や機材を片付けてからになるので夜遅くなることが多く、帰りの車の中では疲れ切って寝ていることが多かったのを覚えています。

運転手の白川君は少し方向音痴のところがあって、帰りの道をよく間違えてジャッキーさんに叱られていましたよ。

ジャッキーさんも帰り道は大好きはお酒を飲みながらなので、時々上機嫌になって「ユー、誰だっけ?」なんて後ろを振り返っておどけてたことを思い出します。

エピソード① ~白川君行方不明事件~

ジャッキーさんのペダルを忘れる

当時僕は最初に住んだ阿佐ヶ谷から引越し、白川君と東京大田区の会社の寮に住んでいました。

仕事のある時は寮に置いてある楽器車に同乗して、2人で交代しながら運転して現場に向かっていました。

その日も一緒に楽器車に乗り埼玉の結婚式場を目指して走っていました。

途中でマネージャーを拾い、予定より大幅に早く現場に着きました。

ところが、白川君がジャッキーさんのドラムのペダルを積み忘れたのに気が付き、少しパニクっていたこともあり、まだ本番まで何時間もあるので寮まで取りに行ってくると車で戻りました。

冷静に考えればペダルだけなので、車で帰らず電車で取りに帰れば良かったんですが、これがこの後大事件に。

白川君と連絡取れず

今は誰でも携帯電話を持っていますが、当時はまだ持っている人はほとんどいない時代でした。

待てど暮らせど白川君が全然帰ってきません。

リハーサルもベースなし、ドラムのペダルなしでやることに。

衣装もなし

ここで車で取りに帰ったことが大きな問題に。

楽器車の中には、楽器の他衣装や靴や色んなものが積んでありました。

楽器は降ろしてあったのですが、衣装は車の中に。

本番時間も迫ってきました。

未だベースなし、ペダルなし、衣装なしの状況です。

本番が巻に

悪いことは重なるもので、通常本番は押す事が多いのですが、この日は「すみません本番巻きでお願いします!」と主催者から要請が。

押し:予定より時間が遅くなること 巻き:予定より時間が早くなること

ジャッキーさんもさすがにその時は首を縦に振りませんでした。

とうとうベースなしで本番へ

相変わらず白川君から連絡はありません。

携帯電話もないのでこちらからは一切連絡は取れません。

もうこれ以上本番を遅らせることはできない状況です。

ベースもなし、ジャッキーさんのペダルもなし、ドラムスティックも練習用の太いすりこぎみたいなものの先に更におもりのためにガムテープを巻いたものしかありません。

ドラムスティックはガムテを外して何とかなりました。

しかし大きな問題が。

衣装です。僕の衣装がありません。ステージ用の靴もありません。

そこで閃いたのが、この会場は結婚式場だったので、貸衣装を手配することに。

靴はブカブカのマネージャーの靴を借りました。

まるで笑い話のようでした。

本番スタート

いよいよ本番が始まりました。

僕は結婚式場から借りた新郎の貸衣装にマネージャーの靴の出で立ち。

ベースとドラムペダルがない寂しい音で始まりました。

今までこんな経験はありませんでしたが、何とか最後までやりきらねばと気合を入れました。

白川君到着

本番が始まってすぐに白川君が到着しました。

舞台そでにマネージャーと申し訳なさそうに立っていました。

演奏中の曲が終わるやいなや、ジャッキーさんとマネージャーと僕が顔を見合わせ、ジャッキーさんが機転を利かせてMCに入り、僕は舞台そでで大慌ての衣装替え、マネージャーはドラムにペダル付けと大騒動でした。多分時間的に1分位で大転換したと思います。

そしてジャッキーさんのMCの途中着替えた僕も加わり、何食わぬ顔で次の曲へと流れていきました。

無事?本番が終わり、白川君が謝っていたことは言うまでもありません。

遅れた原因は大渋滞にはまったからだそうです。本人も本番に間に合いそうもなく泣きそうだったと言っていました。

この経験をもとにそれ以降は忘れものは車で取りに行かないことになりました。

今回は「白川君行方不明事件」を取り上げてみました。

ニューブルーコメッツにはまだまだたくさんのエピソードがあります。

今後も引き続き紹介していきたいと思います。

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