追悼!ジャッキー吉川との思い出 ~エピソード③ キャバレー~

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大人のための"カラオケ教室"

愛知県名古屋市のカラオケ教室「TAKESHI Vocal Studio」

ジャッキー吉川&ニューブルーコメッツのボーカルとしても活動するTAKESHIの歌手生活40年にも及ぶキャリアで習得した独自メソッドで、楽しみながら上達できます。

目次

キャバレーでの営業

前にも書きましたが、僕が入った頃のブルーコメッツはライブハウス、ホテル、ホールなど色んなところでステージに立っていました。

その中の一つに「キャバレー」があります。

キャバレーと言えば、僕がブルーコメッツに入る何年か前まで名古屋のキャバレーで歌っていた経験がありました。

あの独特の雰囲気、薄暗い客席、広いホール。

たまに舞台からホールに降りて歌うと、僕もまだ若かったので、おふくろのようなホステスさんが大勢いることに驚いた記憶があります。

時代は変わり、ブルーコメッツで回っている頃は若いホステスさんなかもかなり増えていた印象です。

今回はブルコメ時代のキャバレーでの出来事を書いてみます。

スイカ頭のオ〇マ事件

キャバレーのホステスさんは全て女性とは限りません。

中には女装している男性もいたのです。

いわゆる「オカマ」さん。

「オカマ」さんと一口に言っても色んなタイプがあります。

見るからに女性で、顔もスタイルも美しくとても魅力的なタイプと、一見しただけでそれと分かる下ネタバリバリのタイプ。

後者の方は見た目はどう見ても女性には見えませんが、会話が上手で雰囲気を和ませ、とてもお客さまを楽しませることに長けています。

ある日、ブルコメで川崎にあるとあるキャバレーでの仕事のことです。

いつものように楽器車で機材を運び、楽器や音響のセッティング、リハーサルを終え本番を待ちました。

しばしの休憩の後いよいよ本番です。

キャバレーでの仕事の時、歌う時は舞台から降りなるべく客席の方に出て歌うことを心掛けていました。

このお店はビルの中にある関係上、ホール内に大きな太い柱が何本もあって、柱の陰になると舞台が見えにくいということもありいつもより余計に気を使っていました。

そして何曲か舞台で歌い、スローの曲(確か『雨の赤坂』)の時に客席回りを始めました。

そして太い柱の陰の奥を覗いたその時です。事件が起きました。

いつものようにしっとりと歌っていたその時です。

突然和服を着たホステスさんが目に入りました。

ホステスさんと言っても、どう見てもオ〇マ。

大きな頭に更に和装のカツラを乗っけていたのでそのサイズといったらすごいもので、歌いながら「どう見てもこりゃスイカだな」と思った瞬間、笑いが込み上げてきてヤバイことに。

しっとりとした歌を歌っている最中です。

吹き出しそうになるのをこらえるのに必死でした。

なるべくその方向を見ないようにして何とか堪え、事なきを得ました。

ドロボー事件

横浜の関内にあるキャバレーでのことです。

この日も楽器車をお店に横付けして楽器や機材を運んでいました。

結構広い店で、楽器車から機材を運び出すのにかなり時間がかかったと記憶しています。

そしていつものようにリハーサルを終え、楽器車に戻り荷物を持って楽屋に行こうとしたその時です。事件が起こりました。

僕の衣装がありません。

衣装2ポーズと靴2足、大事な資料、衣装ケースごと盗難に遭いました。

すぐに警察に届け担当のお巡りさんに聞いたところ、この近くに公園がありホームレスの人がたくさん住み着いているので、もしかしたらそういう人が盗んだのではないか、とのことでした。

楽器車を離れる時に鍵をしなかったこちらも悪かったですが、盗んだ人は中を開けて派手な服が入っていることに驚いたことでしょう。

僕の頭の中には、僕の衣装を着たホームレスが公園で横たわっている光景が目に浮かび、笑えるやらあきれるやら複雑な思いでした。

衣装が無くなったことは大ごとです。

すぐに本番が控えています。

幸運なことに当時僕は蒲田駅近くの会社の寮に住んでいたので、電車で一本で行けるところだったのです。

不幸中の幸いとはこのことです。急いで電車に乗り寮まで帰り、別の衣装を持ちとんぼ返りして本番に間に合わせました。

これを契機に楽器車から離れる時必ず鍵をかけるようになったことは言うまでありません。

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